酒交流館 ~山陰ふるさと進化論~
「何もない山の中だから、いい酒ができるんですよ」
島根県奥出雲町亀嵩の奥出雲酒造は2004年12月の創業。杜氏(とうじ)を含め蔵人4人で、年間生産量は1万8千リットルほどの小さな新規蔵だ。昨年6月からスタッフに加わった営業課長の寺戸史浩さん(34)は営業の際、県外の酒販業者に、こう売り込む。
以前は山形県内の酒造会社に勤め、東京や大阪など大都市向けに営業していた経験から「田舎らしさ」に商機を見いだしている。案の定、相手は興味を示す。
▼▼
60年前に83あった県内の蔵元は現在34にまで減った。長期低迷から脱し日本酒ブームの兆しも見える業界だが、奥出雲酒造のような「5歳」の酒蔵は全国的に珍しく、スタイルや設立の経緯も変わっている。
蔵がある旧仁多町は、標高200~400メートル地帯で昼夜の寒暖差から良質のコメができ、主力のコシヒカリだけでなく酒米作りも盛ん。生産量は県内の約40%を占める。
ところが「仁多米」全国ブランド化を目指した旧町で、唯一残っていた八千代酒造が廃業の瀬戸際に。当時の町長、岩田一郎さん(84)は「コメどころなのに、酒蔵をなくすわけにはいかん」と第三セクター方式で引き継いだ。
町民から採算面など懸念の声が上がったが、地域資源と文化の重要性を訴えて説き伏せ、国の補助金や有利な起債を活用。酒蔵を兼ねたユニークな道の駅「奥出雲交流館」が誕生した。
▼▼
奥出雲酒造では、人件費を抑えるために最新の製造設備を導入する一方で、原材料にはとことんこだわる。
仕込み水は、近くの玉峰山(標高820メートル)の山腹から地下水を引いた。コメはすべて自慢の奥出雲町産で、良質ながら幻の酒米となっていた「改良八反流(はったんながれ)」を復活させた。現在では10戸の農家が栽培する。
新たな水とコメのハーモニーに出合い、奮闘するのが寺戸さん。浜田市の実家は造り酒屋で、1983年の「58水害」で被災し廃業したが、東京の大学で醸造を学び、酒造りの世界に入った。
山形の酒蔵では、蔵人と営業を10年経験。ここ数年は食の安全志向などから、都会の消費者が地酒に風土性を求め始めたのを実感している。
新幹線や高速道の利便性がよい工場地帯にある蔵では、伝えきれなかったイメージ。不便な立地は決してマイナスではなく、良質米を作り続ける奥出雲は「うまい酒を連想させる武器になる」という。
▼▼
酒米の作付面積が全般的に減る中で、改良八反流だけは04年度の46アールが09年度167アールに増加。吟醸酒「奥出雲仁多米」が08年度全国清酒鑑評会で入賞するなど、酒蔵の評価も高まっている。
まだまだ土台づくりの時期だが、寺戸さんが山形時代のつてを頼って営業に回る県外流通業者の反応はよく、2月の酒蔵ツアー企画は県外客が目立った。
町内産のバラやリンゴを使い、女性向けの酒や焼酎も商品化した。酒とともにコメや水、空気まで「まるごと奥出雲」を売り出す仕掛けは、これからが本番。廃れかけた地酒は、新たな視点を加えて里山の魅力を全国に届けつつある。
-平成22年5月12日(水)山陰中央新報新聞転載記事-



